沖縄のやさしい空 12月18日 破壊なくては真の創造は有り得ない


実が熟して朽ち果てる。
これは誰でもが目にする自然の風景です。

これを人間に置き換えてみます。
人が熟すって?
熟した人間は過去を含めてもどれくらいいるんでしょうか?
ただ時間を重ね一見熟したようにみえるのは、本来の熟すこととは違う。
これは私が直感で感じた「サトリ」とも通じるものがあります。
(チャネリング詩の、サトリとは何ですか?とはまったく別物です。)

身体で考えてみるとわかりやすいかも知れません。
自然のものは、宇宙の自然の法則どおり、生まれ、熟し、朽ち果てます。
人間はどうでしょう?
薬漬け、農薬漬け、添加物漬け、暴飲暴食、
本来、身体に入れてはいけないものを入れたり…
こうやって養われた?身体が熟すでしょうか。
これは熟すとは言えない、そう思いませんか?

先ほどの薬漬け、農薬漬け、添加物漬け、暴飲暴食、
身体に入れてはいけないものを入れたり…を
知識や思考に置き換えてみるとわかりやすいでしょうか。
一言で言えば、捨てなさい、手放しなさい、ということです。
(これは本にも書いてあります。)

96年のメッセージ1の
「破壊なくては真の創造は有り得ない」と同じことです。

私が直感で感じたサトリとは悟りの字のごとく
「吾は小さきなり」ということです。
どこまで行っても、魂がどんなに成長したとしても
神人となっても「吾は小さきなり」です。

慢心するなと云うこと。
そしてもう一つの「小さき」は、宇宙創造に関すること。
(これもチャネリング詩に書いてあります。)
これがサトリだと思っています。

話はずれますが
細胞は日々生まれ変わっています。
最近では「脳は年をとらない」ことも判明しましたよね。
脳は使えば使うほど成長すると言われています。
だから、本来だったら若返るはずです。
しかし、現実はほとんどの人がそうではない。
何故だろう?って考えたとき
知識や思考が邪魔してるんじゃないでしょうか。

人間が本来の天然を生きていたら?
日々若返るのではないでしょうか。
更に私独自のぶっ飛び考えで
時間が経つにつれ美しくなるんじゃないかな、って思うんです。
面白い考えでしょう?

じゃあ、どうすればいいの?
ここで閃いたのが
濱田ヒオキさんがカタカムナの話をするときによく使う言葉
「教え返す」「逆序のサトリ」です。
要は細胞を教え返せばいいんじゃないかと。
私なりの「教え返す」の解釈です。


また閃いたら書きます。


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追伸

熟した実が落ちて
種がこぼれ
また新しい生命が生まれる。




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